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2009年7月21日改訂  
株式会社ボイジャー

TIBF2009 Bob Stein氏講演録  2009.7.09 Thu

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―  イントロ 萩野正昭コメント  ―
米国ボイジャーは1984年にアメリカの西海岸のサンタモニカに生まれました。
レーザーディスク事業に携わっていました。ちょうどその時、私たちも、パイオニアでレーザーディスク事業に携わっていました。彼とはレーザーディスクを通じて、インタラクティブなソフト開発をともに推進する仲間として知り合ったのです。そして、やがて私たちは彼と新しい会社ボイジャー・ジャパンを1992年につくりました。
お互いに禿頭で、顔も何となく似通っていて、年齢も1946年生まれで一緒なんです。知り合ってかれこれ30年になります。外国人でありながら、こんなに仲良くなったというのも不思議なものだなとおもいます。ともにいろいろな困難を乗越えてきた、その絆なのでしょう。
それでは今から、ボブ・スタインに話をしていただこうとおもいます。

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お集まりいただきありがとうございます。
私自身今年も世界のいくつかのブックフェアに参加してきていますけれど、今回のこの東京国際ブックフェア程、将来の出版事業を垣間見るようなところはありません。どこの国のブックフェアに行ってもいまだに紙の本が列んでいるというのに対して、これだけデジタル・デバイスあるいはその周辺にあること、そして電子書籍ということについて展示されているブックフェアはここ以外にはないからです。
先ほど同志である萩野から紹介いただいたように、私たちはもうすでに30年程一緒に仕事をやってきています。その中で、本というものが一体どういう意味を持ってきたのかということについてお話したいとおもいます。
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今お見せしている左の写真は、1950年代に、初期の天文学について書かれたものです。
この本は、コペルニクスについて、太陽を惑星が周回しているという地動説について語られたものです。そして、誰も読んだことのないということについて触れているのです。それから随分時間が経って、ハーバードの教授がこの誰も読まれなかった本について書いています(写真右)。ダブリンのトリニティカレッジで素晴らしい本を見つけたのです。(*注:トリニティカレッジ(ダブリン大学)=アイルランド最古の大学。400年以上の歴史と伝統を誇る)
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見つけた本のというのは、先ほどの初期の天文学に関する初版でした。
右側の方を見てわかるように、印刷されたものと、左側の半分は、注釈というか手書きのノートが記されていました。誰も読んだことがないというタイトルからもわかるように、これだけ余白に書込みがなされていたということです。
それから20年間、この教授はコペルニクスの地動説についての本を求めて、初版、二刷りというように、それらを見ることを追求してきた次第です。実際に200冊ぐらい見つけたということです。どの本に関しても、びっくりするぐらいの長い注釈あるいは書込みが記載されているということを発見しました。

大体のケースは、一人だけでなくて、何人かの人たちが前に書いた人に対して反応しています。例えば教授の見解、それに対する学生の反応、そういった書込みがされていたということです。

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お話してきたことは、正に今日これからのテーマである、本とは何であろうか?ということにつながるわけです。
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小さい頃、私自身もこんな格好をして本を膝の上にのせて、頭を本の中に埋めているという子どもでした。

今でもアメリカのメリアンウェブスターというもっとも有名な辞書の中で、本はこう定義されています―白い紙の上に印刷された書かれたもの、そしてそれが冊子体にまとめられているもの―ということです。
CD-ROMの時代に私たちは、テキストに音声や映像を本に加えていったわけです。これ自体は全く新しい試みではありましたが、固定されたものであるということでは、結局変わることはなかったのです。インターネットの時代が訪れて、明らかに起こってきたことは、本は一つの仕組みとして人がいろいろなことを学び、そしてこれに対して語ったりする対象となってきたということでした。
しかし少なくとも解釈の中では、基本的に本というものがあり、本をアーカイブから手に入れるという。本そのものが独自に存在しているという前提でした。
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5年前ぐらいからある種の資金を得て、自分たちは、本の未来―“ネットワーク型の本”ということについて研究し、論じることをはじめました。ここで行なわれた実験の一つをお話しましょう。

ニューヨークのある教授が無神論者について書いているものです。これをもっと公共のものとして語れるものとすることはできないだろうか、とその教授に依頼しました。
毎日ブログにおいて彼自身がどんなものを読みどんな考えをしてということをアップロードする形を続けました。

ここで詳細に読むことはみなさんできないでしょうが、この中ではお互いに将来の読者となろう人たちの間の意見交換、そしてそれが無神論の研究につながるということが行なわれました。

本というのはみなさんご存知の通り、本の形になる前に相当の研究、あるいは調査ということが行なわれて、そして最終的にまとめられたものが本となるわけです。
まさに今ここで正面のスクリーンで見ていただいたものは、本になるという形の前に人々の意見の交換、アイデアの交換というものです。本になる前段階のプロセスがここに集約されているわけです。

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次の実験は、今度は逆に本ができ上がった後にどういったことが行なわれるのかという研究でした。

これは別のニューヨークのある哲学教授の、ビデオゲームの理論について書かれたものです。

ここでは基本的にグラフィックデザインの視点からそうしたんですが、通常でしたら下端にあるコメント覧を大きく中心に表示するということをしています。これがサイトに掲載されると、わずか数時間の間に急激に右にあるようなかなりの濃度のコメントがやり取りされるようになりました。
ここで起こったことは、我々の想像を超えていたものでした。通常、作家がいて読者は別のところにいるというものでしょうが、完全にこのブログの中ではコメントを書くということと、みんなが参加するということに、作家と読者の関係が一緒の場所に同居するというものになっていたのです。
従来的なヒエラルキーからいうと作者が高いところにいて、読者が一番下にあるという離れた距離がまったくなくなって、フラットな関係がここで成立したのです。
ここでは役割の変化も生じました。作家は作者としての立場だけではなく、ここで行なわれた会話や意見交換のモデレーター(調整役)という立場に立ったということです。
セミナーでいうなら、セミナーの教授が話していろいろな質問をするわけです。本の作者は主題に対してもっとも知識を持っている人かもしれませんが、読者達が入ってきたことに対して、作者自身が答えていくといったお互いの交換がなされるという場に、これほどまで本というものが「場」に急変したわけです。

本ができるまでのプロセスについてお話した最初の実験と、今お見せした第二の実験では、本というものができあがった後に、さまざまな会話がなされた、それが本を仲立ちにして起こった、そのことについて皆さんにお話しました。
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実際にアメリカで第二の実験でお話したケースでは、相当にアメリカのメディアでとりあげられて、ぜひ私たちもこういうことをやってみたいと私にアプローチしてくるということが起こりました。

そこで私たちはCommentPressというサイトを立ち上げました。ここでは左側がまさに本のテキストです。それに対して20人の生徒達、ちょうどここでは英文学の授業で使われているケースですが、その生徒達も読者として参加し、且つ右側でコメントを書いています。21という数字が小さく見えますけど、21のコメントが書かれているということです。
この方法はかなりの先生達が使っていて口を揃えていうのは完全に今までの授業における本に対する境界というものが変えられるあるいは変えられたということを語っています。
クラスルームの中で語られた文章についてのこと、文学についてのこと、それがクラスルームの中だけで終わらないで、図書館でとか自宅でとか、コンピュータでサイトを開けて、そこでまた自分が考えたことをそれぞれがコメントをくわてていくと、これが完全に教室という場を離れてそして更にまた戻ってくるというシームレスな連続した意見の交換の「場」になったということです。
 
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最後にやった我々の研究というのはこれです。
ドリス・レッシングという前々回のノーベル賞作家が書いたゴールデンノートブックという作品についてのサイトです。

若い頃私はこの作品は読んでいたんですが、彼女がノーベル賞を受賞する少し前に再読する機会を得ました。
私が読んだ時代の年頃の人たちがおもうこと、それがどんなことなのか、そのことについて非常に興味をもちました。
彼女がノーベル賞を受賞したところで、私たちが作っているCommentPressというメディアで改めてやってみようとおもいました。

ハーパーコリンズという出版社が本のテキスト掲載の許諾をしてくれ、イギリスの文化庁からも多少基金をいただいて、その研究がスタートできたのです。
7人の女性、年代は60代から20代にわたる人たちにこのプロジェクトに参加してもらいました。
左に本からのテキストのページがあり、右側にその1ページに関するさまざまな意見が先ほどの7人から寄せられているのを見ることができます。7人の女性は、この場に参加するまでは全くお互いを知らない関係で、ある人たちはヨーロッパに住みある人はアメリカの西部に住んでいる、時差でいうと9時間もあるというなかで意見交換が行なわれました。
非常に彼女たちはこの経験に対してはまってしまったということが起こりました。これによってみんながシンクロしながら、みんなが意見交換するということがここで本当に起こったということです。

読書会という場を思い浮かべていただくと、例えば木曜の晩に誰かの部屋に集まってそこで本について語り合いましょうという、一種イベント化されるわけですね。
今となってはここで見ていただけるように、例えば私が大学時代をともに過ごした人たち、ある人はヴェノスアイレスに住んでいるかもしれないし、ある人はアメリカに住んでいるかもしれない、そういった人たちとこのサイトを媒介として、全く時間とか場所だとかを気にせずにみんながジョインして読書会ということを行なっていける。そういう「場」がつくられるということをここで気付いたのです。
ですから先ほどの本の定義と違って、私がここで申し上げたいのは、本というのはみんなその本に対して……作者に対して関わりたいとおもうような人たちが集まって語る「場」、それが本だと、いうふうに定義が変えられるものになっているということです。
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Occurence at owl creek bridgeという本に関するサイトの部分を見ていただいています。来月に彼のCommentPressの新しいバージョンの導入が行なわれる予定です。

ここでは非常に興味深いことが行なわれているといえるとおもいます。本そのものだけでなくて、右端のコメントの部分ではありとあらゆる人たちの英知が語られて、そしてそれがある種、本の部分にもなるという、あるいは本という場所で行なわれるということがこの「場」で提供されているわけです。
事実として確認しておかなければならないのは、まだこれもwebページの一つであるということです。
webページというのは何となく平板なもの、ここからは逃れられないわけです。
CD-ROMの時代に実現した魅力的な、何層もの重なりあった情報表現、そのことについてはまだwebページでは辿りつけていないとおもっています。
実は私自身が長い時間やって来ているプロジェクトにSophieというものがあります。Sophieの素晴らしいところはCD-ROM時代に可能であった美しい重層的な情報デザインというものと、現在のwebにおけるSNSの適応性を同時に行なえる媒体だということです。
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T.S.エリオットが書いた詩集「荒地」をここで見ていただいています。

今これは私のコンピュータから見ていただいているのですが、12月にできるSophie2.0については、ドキュメントをwebページに置くだけで、それを新たなソフトを必要とせずにSophie2.0で閲覧できるようになります。

エリオットの朗読を聞いてみましょう。

エリオットの朗読とシンクしてページがめくられていきます。同時に自身が注釈として書いた「荒地」に関するコメントも読むことができます。そしてライブに書き込まれるコメントのウィンドウもこの中に用意され表示されます。
世界のどこでもこの本を開けられた方は、そこに私なりのコメントをこの詩とともに見ていただくことができます。ある日私のオフィスで友人に、そのエッセイを見せていたところに、注釈の部分にパリにいる自分の友人からコメントが書き込まれるということがライブで起こった、それは意図的にやったのではないんです、そういうことが起こりました。ここでの経験とは、本そのものは静的なものであった、それがこの方法をとることによってまさに生きているような、同時進行型のものに変わってしまうという「場」がつくられたのです。
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この子はロンドンにいる男の子ですが、母親がこの子がどんな風に本を読むのか話してくれました。
本を読んですぐに本を置いてしまう、そして同じ本を読んでいる友だちと、本から離れてコンピュータ上で意見を交換するということを普段からやっています。
で、もう一回本をとりあげ本を読み、その中で話したことやら何やらが気になって、今度はグーグルで検索をかけるということをします。本を読んだりコンピュータをしたり、コンピュータで検索したり本を読んだりを繰り返すのです。

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この話から私はおもったのですが、本を読むということについて再定義して、本そのもの……つまり、テキストを見ているということだけを読書というのではなく、コンピュータに向かったり、グーグルで検索したり、そういったことのすべての経験の部分を含んでReading=読書というのではないか、そうすべきなのではないかとおもうに至りました。

おそらく、ですから、私たちのこれからの子孫は、本を読むということは人々との間の社会的な経験というように考えるのではないでしょうか。読むこと、書くこと、それがSocial Experienceであると先の世代は感じるようになるのではないかとおもいます。
先週メキシコで、そこでこのような話をしたとき、コンピュータが本を読むことをさせたり、考えさせたり、書くということをさせるとあなたは言っているのですか?と聞かれたのです。全くそんなことをいっているつもりではありません。
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先ほど冒頭プロローグのところで見ていただいた通り、本を読むことは、大昔から余白に書き込むということなど、すでにソーシャルな存在であったということです。
今までの本の形は、ある種の閉じ込められてしまったものということであって、本そのものを何かここから引き離してしまい、その周辺に起こりうる社会的な関わり方、いろんな人たちがそこに参加する可能性というものを閉ざしてしまったものだったと言えるのではないでしょうか。
そしてこれからの時代、本というコンテンツをネットワーク上に乗せる……そこで何が起こるのか?

先ほどからお話しているように、本を介した人々の社会的な関与の仕方が急にひらけていきます。
そのことが非常に強力なものになっていく!私は、そうおもうわけです。

どうもありがとうございました。
2009.7.9 東京国際ブックフェア・ボイジャーブースにて

ボブ・スタイン(Robert Stein)VOYAGER 創立者 1946年生まれ
MITメディアラボの前進、アーキテクチャー・マシングループに参加する。1984年VOYAGER(US)を創立。クリエイティブ・ディレクターとしてレーザーディスク、CD-ROM、電子出版 Expanded Bookなど500タイトルを制作。現在”Institute for the Future of the Book”(本の未来研究)の中心メンバーとして活動している。
技術は進化のための推進エンジンというべきもの、主役は人間である。出版とは何であり、どうあらねばならないのか、そのための技術として出版社、作家、技術者が越えていかねばならない壁について、自らの経験をもとに 人間性の復活を強く呼びかける。



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